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競馬の世界最高峰レース!凱旋門賞に挑戦

競馬の世界最高峰レース!凱旋門賞に挑戦

毎年10月にフランスのパリロンシャン競馬場で開催される『凱旋門賞』。ヨーロッパ内のみならず、世界中の競馬関係者が勝利を夢見る、最高峰のレースとしても知られています。今年は日本からも3頭の競走馬の登録がされたこともあり注目を集めています。

インターネット技術の進歩に伴い、最近では海外のレースでも日本からオンラインで観戦できるようになりました。それだけでなく、ブックメーカー 競馬などのサイトから実際にベッティングしながらレースを楽しめるようにもなり、ファン層も急速に拡大していると言われています。ここではそんな競馬関係者やファンの間でも世界最高峰とされている、凱旋門賞についてみていきたいと思います。

凱旋門賞とは

凱旋門賞(Prix de l’Arc de Triomphe)は、フランスのパリ、ブローニュの森にあるロンシャン競馬場で毎年10月の第1日曜日に開催される競馬のG1レースの名称です。フランスでは日本と同じように、競馬は特別法に基づいて施行され運営することが許されており、イギリスやアイルランドと共に世界の競馬を牽引している競馬主要国のひとつとなっています。現在は、平地競争・障害競走において年間37のG1レースが行われていて、なかでも凱旋門賞はヨーロッパ最大のレースのひとつとされています。また、凱旋門賞は、ヨーロッパでの競馬シーズンの終盤に開催されることもあって、その年のヨーロッパ各地の活躍馬が一堂に会する、言うならば中長距離のヨーロッパチャンピオン決定戦としても知られています。それだけにヨーロッパ内のみならず、世界中の競馬関係者が憧れ、勝利を目標とする世界最高峰のレースでもあり、1960年代後半からは日本からも国内で最上級の活躍をした競走馬がしばしば参戦しています。

創設以来、2400メートルで行われており、出走資格は3歳以上の牡馬・牝馬とされ、生殖能力のない騙馬の出走は認められていません。

歴史

フランスでは、19世紀半ばに3歳馬のための国際的なクラシック競走として『パリ大賞』が創設され、国外からも一流馬を集めて成功していました。これにならい、古馬のための大競走が企画され、第一次世界大戦終戦直後の1920年に創設されました。これが凱旋門賞のはじまりとされています。しかし、はじめの30年間は国外からの一流馬の参戦がなく、創設の目的を果たせませんでしたが、1949年に大幅な賞金増によって世界一の高額賞金競走となると徐々に注目を集めるようになり、国際的なレースとして知られていくこととなります。1986年にはイギリス、フランス、アイルランドや日本、南米からもクラシックホースが集まるようになり、世界最高峰のレースとしての地位を確立していきます。

パリロンシャン競馬場

凱旋門賞の舞台となっているパリロンシャン競馬場は、1857年に開設された競馬場で、世界で最も優雅とも言われています。先述したように、世界中のホースマン、競馬ファンにとっての憧れの競馬場であり、凱旋門賞だけでなく、フランスで開催される平地G1・28競走のうち実に17競走もの舞台となっています。凱旋門賞を含んだ8つのG1競走が土日の2日間で開催される凱旋門賞ウィークエンドの他、シーズン最初の平地G1とされている『ガネー賞』、革命記念日に行われる3歳G1の『パリ大賞』、日本の皐月賞や桜花賞に相当する『プールデッセデプーラン』や『プールデッセデプーリッシュ』などといった、多くのビッグレースも開催される花形競馬場でもあります。

また、パリ16区の西部に広がるブローニュの森にあり、市内のエトワール凱旋門からはわずか5キロメートルという立地や交通の便の良さからも、多くの人が訪れる憩いの場でもあります。

もともとは『ロンシャン競馬場』という名称でしたが、2015年の凱旋門賞終了後に1億4000万ユーロ(当時のレートで約185億円)の総工費をかけた改修工事が実施され、スタンド、パドック、検量室など多くの施設がリニューアルしました。その際、正式名称も『花の都パリ』にあるというイメージを鮮明に打ち出すため、パリロンシャン競馬場に改められました。絢爛たる新スタンドは、フランス人建築家のドミニク・ペロー氏が設計し、黄金色を基調としたモダンなデザインに変更され、人々の目を奪うような上部が突き出した斬新なフォルムが特徴となっています。

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